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ピアノソナタ第16番 ト長調 Op.31-1
2016-11-28 Mon 01:29
Part 1. Piano sonata in G major, opus 31 no. 1


第五回目のプログラムより「ピアノソナタ第16番 ト長調 Op.31-1」のレクチャー内容です。この曲の講義は40分弱です。シフさんは私が思っていた以上に、自由奔放な男性だとだんだん思い始めました。特に第2楽章では好きな事を言いたい放題なので、オペラ好きの方がお気を悪くなさらないと良いのですが(苦笑 途中で何度も何度もピアノを弾きながら説明されているので、出来れば音源を聴いてもらえるとわかりやすいと思います。





(第1楽章の冒頭演奏)

「(マイクの音届いていますか、といった話が続いた後)さて、私達は中間点へ到達しました。そしてここから、ベートーベンによる素晴らしい32のソナタ、後半部分へ入ります。これら(32曲のソナタ)は、非常にきれいに2つにわけることが出来ますので、例えばヘンレ版の第1巻をみると、最後はOp.28『田園ソナタ』で終わり、そして今私がちょっと演奏したOp.31-1から第2巻が始まるわけですね。

1801年、『田園』Op.28を書き上げた後。ベートーベンは、ヴァイオリニストのヴェンゼル・クルンプホルツに向かって、こう述べました。『私はこれから新しい道を進むつもりだ。今までの作品に満足などしていないのだから』 ・・・これはたいした自己批判ですね、本当に。なぜなら私には・・・どうやっても最初の16作品に落ち度などみつけることなど出来ませんから。笑 特に、前回のプログラムを思い起こしていただくと、変奏から始まるOp.26ソナタ・・・(12番の冒頭演奏)それから、2つの崇高なソナタ、Op.27・・・「幻想曲風ソナタ」と呼ばれるソナタですね。こういった作品は明らかに、ベートーベンが新しい形式や方向性を模索した、新たな試みだったと言えるでしょう。ですから、彼は本当に自分に厳しいと思います。しかしベートーベンは実に革命的作曲家ですから、常に新しい道を行き、同じ道は二度と辿りませんでした。・・・ふと思えば、私は同じことを繰り返し言い始めてますね!笑 ・・・ですがまぁ・・・ご容赦ください、私は口下手なのです・・・・ベートーベンもしかり。」

「さて。ではこの作品の新しい点とはなんでしょうか。まず表面的には・・・先のOp.26とOp.27が驚くべき成果を上げましたね。そして(この作品は)その時点からあまり時を置かれていません。ほんの1年か2年です。ですが、彼の健康状態は目に見えて悪化の一途を辿っていました。そしてこの時期に、かの有名な ”Heiligenstadt Testament”-ハイリゲンシュタットの遺書-がかかれました。みなさんよくご存知かと思いますが。これは最も心を揺さぶる文書のひとつで、この中で彼は身近な人間に向かい悪化する耳の病とその苦しい心の内を打ち明けています。

そしてOp.31は、もうひとつの3部作『ピアノとバイオリンのためのソナタ』Op.30の直後に発表されますが、このOp.31もまた3部作で、また最後の3部作でもあります。まず、最初の方の回を思い出してみると・・・(Op.2-1冒頭をさわりだけ演奏)このOp.2も、ひとつの作品番号の中に3つの作品がありましたね。そして、それから数年後にはOp.10ソナタ。これもまた同じように、ひとつの作品番号の中に3つの作品が入っていました。そして今回、これが最後(の3部作)となります。ですからドイツ語で言うところの”Rückblick”- 振り返って見ると・・・(こういった作品の組まれ方は)時に、実質的な理由から発生します。出版社が売りやすいですからね。ベートーベンは極めて良い意味で、とても現実主義な作曲家でした。自身を養っていかねばなりませんので。ですから出版社は・・・この時はスイスの出版社(者)でチューリッヒのネーゲリですが、彼(出版者)はベートーベンに対して頑強に3つのソナタを求めたわけですね、1つではなくて。それから、Op.2やOp.10でもみられたように、この3作品(Op.31)はそれぞれ全く異なった性格を持っています。そしてこれら3作品は、作曲家の3つの異なった顔を映し出しています。」

「最初のソナタ、ト長調はベートーベンの作品の中で一番『面白い』ソナタです。しかし私が説明するまでもなく、幸いにも既にアルフレッド・ブレンデルの素晴らしいエッセイの中で『クラシック音楽であっても、常に真面目である必要はない』と話していますからね。そういった事は、この国では当に良く知られていることではありますね。しかし、どの国にも言えることです。ですからこの素晴らしいエッセイ、あるいはベートーベンにとっての先駆者であり師でもあったヨセフ・ハイドンの功績により、既に私達は『クラシック音楽の中にもユーモアが存在する』という事実を知っていますね。ただ残念なことに、(そういったユーモアに)反応しない人々が存在しますけれど。とりわけ・・・ドイツ語圏の国々で。笑 そして・・・(と言いかけたけれど、会場の雰囲気を察して)あいえいえ、批判の意味で言っているんじゃないんですよ! とにかく・・・戦争はもう終わってると気づかねばね。笑

ですがとはいえ、いまだに『クラシックコンサートは非常に真面目な催しだ』といった風な作法がまかり通り、笑顔さえ作るべきでないといった雰囲気ですが・・・笑ったらいいですよ。それに、ハイドンやベートーベンのユーモアはとても洗練されていますから、安っぽい下品なユーモアではありません。このト長調ソナタの中のジョークは時にはとてもわかりやすく、またある時は非常にさりげないものです。その件については後ほど触れますけれど。」

「冒頭部分、それはとてもあからさまで(左右がほんの少しズレた演奏)・・・『どうかしたんですか、両手を揃えることすら出来ないの?』といった風です。これはどこから来ているかというと、19世紀頃の古いタイプの演奏方法です。私個人はこれを『オールドファッション』とは呼びませんが・・・とても美しいですし・・・例えばショパンのノクターンを演奏するコルトーですとか。(演奏)常に、左手が右手よりも髪の毛一本分ほど先に演奏するんです。ですが、私はこれを『癖』とは呼びませんね・・・これはむしろ音の物理現象です。それにウィーン交響楽団ですとか、その他の非常に素晴らしいオーケストラを聴いてみると、コントラバスはいつもバイオリンよりも先に演奏を始めています。なぜなら・・・ストラビンスキー以前の音楽では、和音は剃刀で切ったようにスパッと同時ではないんです。昨今の音楽評論家達は必ず、このオールドファッションな演奏方法を例に持ち出すんです・・・『左手が右手よりも先だ』と。当たり前ですよ・・・それが音楽的に演奏するということなんですから。『ペトルーシュカ』でもあるまいし。ペトルーシュカ登場以後・・・人生は変わってしまいました。笑」

「ですが、このベートーベンソナタでは正反対です。右手が左手よりも先に来ます。(演奏)・・・ということで、もう驚くほど面白いです。(とシフさんがあまりに淡々と断言するので、会場爆笑。それに気づいたシフさんは照れたように)・・・『私は』そう思いますけど!・・・面白いですよね?笑 だって、一貫して・・・『一緒ではない感』がありますから。『逆さま』な感じです。ということで左手ではなく、その逆ですよ。さて。このフレーズをお聴きいただくと・・・(演奏)極めて技巧的な盛り上がり部分ですが、実は・・・(演奏)ただト長調の3和音を反転しただけです。(演奏)ですが技巧的であるには違いありません。私達が今日ここでお話しているのは3つの非常に技巧的なソナタで、そもそもアマチュアに向けて書かれた作品ではありません。アマチュアの方も大いに演奏していただいて構わないんですが・・・非常に難しいです。(演奏)そして次に何が起こるかというと・・・(演奏)・・・とこれは来ません。ですが、ベートーベンはこれを移調して全音分下げます。これは非常に興味深い手法で、後にご紹介するこのソナタ・・・(ワルトシュタイン冒頭演奏)・・・そして何が来るかと言うと・・・(全音分下へ移動した部分の演奏)・・・まるで新しいアイディアのように思えますが、私達は(ワルトシュタインの)2年前に既にこれを経験しているんです、このソナタの中でね。(演奏)(と、ここまできても)まだドミナントの上です。そして、トニックへ戻るわけですが。」

「さて、技巧(フレーズ)は外へ向かって進みながら盛り上がり、ダイナミズム的にも非常に大きな幅があって、ピアニッシモからフォルテシモ・・・にはまだ到達していませんが、それもいずれ出て来ます。ベートーベンのソナタにおけるダイナミズムの稼動範囲は、ここに来て大きく成長しています。なぜなら初期のソナタでは、稀にしかこういった質感のダイナミズムがみられませんでした。『極端な』ダイナミズムという意味で。それから・・・(演奏)第2主題は全く違うキャラクターまたは手法で、民俗舞踏的。言ってみれば流行歌のような感じです。(演奏)特徴的なシンコペーションと共に。それから、それをバスへ移動させた上で短調に・・・(演奏)このような頻繁に入れ替わる長調と短調は、数年か数十年後のフランツ・シューベルトの音楽でも見ることが出来ます。シューベルトは恐らくこのソナタをよく知っていて、好んだのかもしれません。こういった・・・(演奏)短調・長調・フォルテ・ピアニッシモと変化させるこの感じは、非常にシューベルトっぽいですね。それから、今の部分が導入部の終わりとなり、導入部は反復され・・・そしてみなさんには、ぜひとも全てのベートーベンの反復記号を守っていただくように促したいと思います。特にここから先は、ベートーベンがどこで反復を望んで、どこは反復しないのかといったことが、非常に明白です。そしてこの判断は『演奏者次第』ではありませんので・・・とにかく作曲家を信用しましょう。(演奏)」

「展開部まで来ましたが、ここでもまだシンコペーションと『揃わない感覚』を保っていますよ。(演奏)それからベートーベンは、その『揃わない感覚』とは対照的に、ここへ大きなユニゾンを書きました・・・非常に技巧的ですね。そして常に1段階ずつ転調を繰り返していますから、変ロ長調、ハ短調、そして二長調。『二(レ)』音はトニックですね。ということで、続けますよ・・・(演奏)スフォルツァンド・・・ベートーベンは、常にスフォルツァンドを置くようにと主張しています。モーツァルトを例として考えた場合、モーツァルトなら絶対にこんな風に書きません。ですから、私達がベートーベンを演奏する場合には、こういったスフォルツァンドやアクセントを大真面目に受け止めなければなりません。なによりも酷いのは、演奏家が作品の角に『アイロン』をかけてしまうことです。作曲家がこう書いているんですから、ここはもともと『美化すべきではない』ところなんです。(演奏)」

「・・・と、私達は長いドミナントのペダルポイントまで来ました。それから、このソナタの初稿は残っておらず・・・本当に残念なことですけれど紛失しています。しかし、ひとつ前のソナタとワルトシュタインの初稿はあります。そして、それらのソナタはベートーベンによるペダル指示でいっぱいです。そして、ここの部分は極めて長いペダルが必要に違いない、と私は思っています・・・全てのハーモニーが共に泳ぎますね。(演奏)・・・単に属七の和音ではなく、さらに9度上の音が加わっています。(演奏)まだこのシンコペーションも続いていますよ・・・それと共に、ここは面白いですね。『ミ♭』に対して『レ』ですから、ものすごい不協和音です。・・・そして戻ります(演奏)ペダルの『曇り』に対して、今度は非常に『乾いた質感』ですね。ベートーベンのソナタの真髄は、衝突や絶え間ないコントラストです。(あるいは)ドライな音に対しての瑞々しさなど・・・これが第1楽章の大雑把な基本要素ですね。しかし、まだ非常に面白いコーダが残っていますよ。(演奏)それで、もうひとつのジョークとしては、観客を騙すことなんですが・・・いえ、もちろんあなた達は騙されませんけれど・・・あなた達は賢いですし、音楽というものを知っていますからね。笑 ですが、この作品を初めて演奏しているところを想像してみてください・・・終わりだと見せかけたところで・・・終わりではないんです。(演奏)これはとてもさりげなくて、上品なジョークですね。」

「第2楽章はアルフレッド・ブレンデルいわく・・・私も大いに同感ですが・・・パロディです。・・・イタリアのオペラの。ですが、同業者の中には・・・これによって死ぬほど気分を害している者もあります。『この作品はベートーベンによる最も深い親しみという感情を込めた・・・』などなど・・・全くわかってないんですよ。それではまず、イタリアン・オペラというのはどういったものでしょうか。私達はみなイタリアン・オペラが大好きですね。そして”Bel Canto”-ベルカントは、現代においても非常に人気がありますが、ベートーベンの時代にもまた、とても人気がありました。ただイタリアン・オペラにも、ピンからキリまであります。私に言わせていただければ・・・ベートーベンの音楽に勝るものはありませんけれど笑 

そして・・・良い作曲家、あるいはそうでない者も含めたイタリアン・オペラの作曲家たちが大成功している様子は、ベートーベンを苛々させました。なぜなら、そういった(当時の)コンテンポラリー音楽は、ベートーベンの書く音楽よりも大きな成功を収めていたからです。そこでベートーベンは『らしからぬ楽章』を書いたのです・・・なぜなら、この楽章は非常に冗長で全てが過剰、しかも装飾だらけです。そんなわけで・・・私はこれをパロディだろうと思うわけです。この時期のベートーベンの人生において、彼は『厳選して良いものだけを残し、より濃縮された音楽』というものを追い求めていました。この発想は、『テンペスト』と呼ばれる二短調ソナタからも窺うことが出来ます・・・これは次にご紹介する曲ですね。ですからベートーベンは意図的に、正反対の音楽を作りました・・・『こうありたくない』と思う姿を表現したのです。」

「まず、伴奏から始まりますが・・・これはイタリア風の伴奏ですね・・・(演奏)こう・・・♪ん~ちゃっちゃ ん~ちゃっちゃ・・・た~ららぁ~♪(・・・とオペラ曲を歌うシフさん。と、意外にいい声なので会場から拍手が。笑)・・・(笑いながら)すいません笑・・・ヴェルディ、大好きなんですよ。イタリアの作曲家で素晴らしい作曲家をたったひとり挙げるなら、それはジュゼッペ・ヴェルディ・・・疑いの余地はないです。ですが興味深い点として、『リゴレット』のカルテットを移調してみると・・・(演奏)・・・そしてこれも後で出てきますが、Op.31-1の主題をちょっと聴いてみてください。(演奏)・・・『似ている』というよりも(同じ)・・・(演奏)もちろん美しいですが・・・感じませんか・・・いえ、もしかしたら私がそう思いながら演奏しているせいかもしれませんけれど・・・なにか皮肉な感じ、嫌味っぽい感じがしますね。」

「それから、愛のデュエットのような部分です。主題がバスへ移りますが、これもまたコミカルで・・・ここのバス音はまるですごく太った男が素敵な振りをしているような、嘘っぽい感じがします。(演奏)そして、このカデンツァは、『ひけらかすような』カデンツァです。そしてベートーベンはそういう人ではないので・・・つまり、わざとコンテンポラリーなものを小馬鹿にして、安っぽい演出をしているんです。ベートーベンは、普通こんなカデンツァを絶対に書きませんから。(カデンツァ部分から演奏)・・・そしてベルカント・・・(演奏)オペラ歌手は、ここで大きな跳躍をし・・・(鼻歌を歌うシフさん)非常にオペラ風で声楽的ですね。しかしこの長い楽章の中で、非常に深淵な瞬間がやってきます。なぜなら、ベートーベンはそこまで自分で自分を驚かせることが出来ませんでしたので。例えば・・・(演奏)・・・ひとつ調を下げて・・・(演奏)こういった転調やハーモニーを、イタリアン・オペラの中に見出そうとするのは無益な追求です。」

「再度大きなカデンツァ・・・(演奏)・・・またしても『ひけらかし』・・・(演奏)非常に美しくはありますが、ベートーベンにとって異質なものです。さて。前半の変奏等が終わり、ソナタ中間部へ差し掛かりますが・・・ここは非常に邪悪でドラマチック・・・私はこの部分を『ティーカップの中の嵐』と呼びます。本物の『嵐』ではなく・・・それは次のソナタで出てきますから。(演奏)ということで、鋭いアクセントと共に大きなドラマが起こる予感をさせながらも、実際はほんの短い間に起こる括弧書きの物語です。そして、この楽章のドミナントへ到達し止まったところで、ベートーベンは再度、これがパロディであることを示すかのように、12小節もの間ドミナントへ留まります。非常にゆったりとしていますから、気分的には『永久』・・・何も起こらない3分間です。たぶんまた、イタリア人のことをからかっているんだと思いますけど・・・(なにも起こりませんので・・・そういう振りをしているだけで)」

そして最後の変奏の後・・・(演奏)・・・新しい16分音符の伴奏・・・(演奏)これもみなさんご存知ですね。イタリアン・オペラの。ここは非常に演奏しづらく・・・ピアニスティックでは全然ないです。ということで、ハンマークラヴィーア・ソナタのアダージョを除いて考えた場合、ベートーベンの書いた最も長い緩徐楽章です。そして、わざと長いのです。」

「その後にくるのは『アレグレット』のロンド・フィナーレ(第3楽章)です。(アレグレット)ですから、そこまで速い楽章ではなく、”Gassenhauer”-ガッスンハウアー的な・・・といいますか・・・ガッスンハウアーというのは、ウィーンの町の歌(流行歌)です・・・誰もが口笛で吹けるような。(演奏)お聴きになってわかるように、アップビート(裏拍)から始まります。(裏拍だということが)明白に弾けているといいんですが・・・出来ていなかったとしたらダメですからね。(演奏)バッハのガボットのような・・・(リズム比較演奏)弦四重奏のように美しく声部わけされた書き方です。このロンド最終楽章のような形式の成功例として、シューベルトの素晴らしい楽章のひとつ・・・イ長調ソナタの最終楽章がありますね。(演奏)もちろん全く似ていませんし、裏拍から始まっているわけでもありません。しかし後でわかりますが・・・最初は主題がソプラノで、それからバス、そして対位法が3連符で出てきます・・・ベートーベンの場合。(演奏)それからまた・・・(演奏)・・・シューベルトの作品にも同じ3連符の楽章がありますね。」

「さて。それから、非常に興味深い部分が出てきます。主題がバスに置かれ・・・短調です。(演奏)バッハのフーガを偲ばせますね。装飾の仕方に注目してみてください(演奏)『中音』の変ホ長調にきました。・・・ということで、他にもいろいろお話することがありますので、(この部分の)あまり細かすぎる話は避けようかと思いますが。コーダはとても面白く、『四六の和音』で止まり・・・(演奏)まるでモーツァルトの『ピアノと管楽のための五重奏曲 K452』のように、『作曲されたカデンツァ』・・・規定速度の中でのカデンツァです。(演奏)・・・フェルマータがあって・・・(演奏)・・・と終わります・・・ですが、本当は終わったわけではありません笑 こんな風に始まると(演奏)・・・終わったのかな、と思いますよね。ですが違います。笑 (演奏)・・・これはアダージョで・・・それから『テンポ・プリモ』元のテンポに戻って(演奏)・・・偽りのカデンツですね・・・(演奏)・・・アダージョ・・・クエスチョンマーク・・・(演奏)・・・ここはちょっとした断片的扱いで・・・(演奏)バスが独走し始めて・・・クレッシェンド!・・・プレスト!(演奏)・・・まだ終わりませんよ笑・・・(演奏)ここは第1楽章の終わりと対になっていて、例の両手は・・・(演奏)やっとお互いをみつけるんです。」




29歳のルチアーノ・パヴァロッティ。若き天才が歌うヴェルディ。
ヴェルディは、このソナタが書かれた当時(1802)生前前ですね。

それと、シフさんのモダンオペラ感・・・極端。笑

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この記事のコメント
カギコメ様。
お返事大変遅くなって申し訳ありません!!

ご指摘部分、修正しておきました笑
ちょっと(というか大分)放置状態ですが、
気長にお待ちいただけたらと思います☆
2017-01-15 Sun 22:58 | URL | ゆにくあ #-[ 内容変更]
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2016-12-08 Thu 22:01 | | #[ 内容変更]
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